野口整体

畏敬の念

整体協会が野口先生の設立された社団法人です。史実に基づいた資料を提供されています。

このページでは私が野口先生に抱く思いを書き綴っていきます。

直接お会いしたことはなく、書籍からの知識となります。それでも私が先生に抱くのは畏敬の念です。

一度は全巻揃えた書籍を手放してしまい、今は手元に数冊しか残っておりません。以下サイトから引用。

昭和二十年代後半には身体を通した人間の個性研究とも言える「体癖論」の基礎を完成させた。
 この頃から、病を治すことよりも人間本来の力を引き出して健康に導く自らの活動を「体育」と位置づけ、「治療」を捨てることを決意。何かに頼ることなく自らの足で立つことを指導理念に掲げ、昭和三十一年、そうした健康観に基づく体育団体『社団法人整体協会』を文部科学省(旧文部省)の認可を受けて設立。

この理念を、ご家族に見守られお隠れになるまで教え導いてこられました。私も命尽きるまで働き続けたいと思ったのは先生に近づきたいがためです。

野口昭子さん

奥様の昭子さんです。昭子さんも何冊か書かれており、『回想の野口春哉』がとくに好きです。先生の身近でずっと先生のなさることを見てこられ素直に表現されていて、共感する部分が沢山あります。

昭子さんは先生にはなんでもお見通しだから、隠しようがない。だからなんでもオープンで素直に表現したらそれで良いと達観なさっていたようで、先生のいう全生を生ききった感じを受けます。

生きているということは死に向かって走っている車の如きもので、
その目的に到着することが早いのがよいのか、遅いのがよいのか判らない。
しかしともかく進み続けていることは確かである。
一日生きたということは、一日死んだということになる。
未だ死ななかった人は全くいなかったということだけは確かであるが、
その生の一瞬を死に向けるか生に向けるかといえば、生きている限り生に向かうことが正しい。
生の一瞬を死に向ければ、人は息しながら、毎秒毎に死んでいることになる。
生に向けるとは何か、死に向けるとは何か、この解明こそ全生のあげて為すことである。

溌剌と生くる者のみに深い眠りがある。
生ききった者にだけ安らかな死がある


これが先生の全生という理念です。
また『回想の野口春哉』で先生の話されたこととして
『僕は子供のころ、金もなく、何もなく、自分の心以外に、全く頼るものがなかった。その心を、明るい方へ向けて拓いてゆこうと決心したんだ』とあります。
このお言葉もとても勇気づけられる。
いま私には、何らかの頼れるものがあって、そこにもたれかかっているのかも知れない。それは先生の説かれた理念とは逆行しているように思えます。いまこの時点をゼロして、明日から私自身の内なる情熱で生ききっていきたいと思います。
野口先生については、別途続きます。